読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Jouissons de la vie! 思考・行動を楽しむ!

大学生。読書学部。就活ネタが多いです。自分の考え・行動を書きます。参考になったら嬉しいです!

自分が考える大学の勉強・学問の意味 特に文系

現在大学4年。
残りの大学生活も1年を切った。
別に大きな後悔はないんだけれど、最近学問をやりきれていない感がある。
 
大学生はこういうことをやれ!云々カンヌンというのは耳にタコができるくらいに聞いてきた。
学問、バイト、恋愛、留学、サークル、部活、インターンetc…
別に正解はないし、行動しないよりはやったほうがその人のものの見方に影響を与えられるからやる時間があるならやったほうがいい。
けど、中途半端になるなら視野を広げすぎるのもどうなのかなと自分の経験談から考えるとそう思うし、やった人が偉くてやらなかった人がなんだか劣っているものに感じてしまうのってなんか寂しいよね。
 
自分が責任をもってやるとかやらないとかを決めないとこういう後悔につながってしまうのだろう。捨てることを意識することができるのが大事なんだろうね。
 
その点で言うと、学問は自分としてはいままでおろそかにしてしまったフシがある。
大学3年の時はサークルに打ち込むんだと決めていたから後悔は特にないんだけれど、残り少ない学生生活を考えるとなんだかその選択をした自分に少し後悔が生まれたりと、なんか勿体無いなと思う時間があったりした。
 
そこで考えたいなと思ったのが、大学の勉強の意味だ。
学問ってなんだ?
 
みなそれぞれ大学に所属していたら学部と専攻というものをもつと思う。
果たしてみなさんはそれを学び切ったと言えるだろうか?
大多数は言い切れないのではないかなと思っている。
それなりに単位をとって成績も残しているけれど、人生につながっている気はしない。
なんでこんなことになっているのか?
 
こういう感覚を持つ人って今までの高校までの勉強をしっかりしてきた人な気がする。
数学だったらレベルでいうと数3Cまでやれたらやり切っていることになるとか、歴史だったら山川の教科書を全て読みこんでこういう大学の問題は解けるくらいに覚えきれているとかゴールが明確なものが勉強だと考えているんだと思う。
 
俺もそう思っているし、まだそれで大学の学問も判断してしまっているのかもしれない。
けど、大学の学問の目的って「問いを作り出して、答えを導く」という一連の過程を自分でできる人になるための教育なんだと思うのだ。
 
世界にあることって本来答えがないこと。
歴史も事実に基づいて研究してきた人が今できる仮説の中で答えらしいものを仮に提示しているだけ。基礎的な論理的根拠が覆ったら今まで信じられていた事実が嘘ということにもなることだってあるんだ。だから、必要なことって今あることをそのまま受け止めるんじゃなくて、一体それはどういう根拠で成り立っていて、そこに行き着いた論理が本当に正しいのかを検討する力なんだと思う。
 
その力を持った上で、今持っている疑問を作り出して答えを導き出すこと。
この問いを作り出すことが一番難しいことなんだけれどね。
情報がたくさんあればいいわけでもないけれど、情報がないと考えられないという二面性の不安定な中で、問いを作り答えをどういう事実を元に導いていくかを考える力を身につけられたら大学での勉強はできたと言えるのではないだろうか。
 
事実めちゃくちゃ難しい。
はっきりとこういう学びをしたらいいよと言われたほうが楽。
こういう本を読んで、こういうことを考えなとか。
けど、それじゃ世界は何も変わらない。
自分という人間がいた意味がなにもなくなってしまう。
 
今までその専攻に関係しない部分でも読んできた本とかの考え方が積み重なってきたのが自分。
みんないろんな経緯を持って今ここにいるからこそ導ける問いと答えがあるはずなんだ。
 
だから周囲の人の「勉強」ができる人に対してなんか劣等感を持つ必要はないんだ。
必要だと思ったならやるべきだけど、無理はしなくていい。
情報がなくても出せる問いと答えはある。
 
卒論は大きなイベントだ。
なあなあにしてはもったいないとても大切な儀式なんだと思う。
外国と違って日本のように専攻の決まり方が緩い環境だからこそ、答えを導くことが他の国よりももしかしたら価値が出せるものが生み出せるかもしれない。